『生誕100年記念 瑛九展』
2011年9月28日(水)に敢行した『瑛九展』ツアー、埼玉県立近代美術館を後にして、うらわ美術館に向かいます。
繰り返しますが、『瑛九展』はひとつの展覧会をふたつの会場で開催する形態をとっています。
全部で以下の8章立てで構成されており、うらわ美術館で第1、3、4、7章を、埼玉県立近代美術館で第2、5、6、8章を展示しています。
- 文筆家・杉田秀夫から瑛九へ
- エスペラントと共に
- 絵筆に託して
- 日本回帰
- 思想と組織
- 転位するイメージ
- 啓蒙と普及
- 点へ・・・
ふたつの美術館で方向性に何となく役割分担があるなぁという印象を受けました。
埼玉県立近代美術館が瑛九作品自体の展示がメインだとすると、うらわ美術館は資料的なアイテムの展示に力点が置かれている感じですかねー。
どちらの美術館でも瑛九作品自体・資料が取り混ぜて展示されていますが、ボリューム配分が、作品は県近美、資料はうらわ美に傾いていると言いますか、作品を鑑賞する埼玉県立近代美術館に対して、作家の思想や製作の沿革を知ることができるうわら美術館とでも言いますか。
うらわ美術館では、瑛九と親交のあった同時期の画家の作品や、文筆家・杉田秀夫時代の評論発表媒体(美術誌「みづゑ」など)、エッチング関連具(原版や鑿などの道具から実際に使っていた輪転機まで)など、県近美では見られなかったアイテムも数多く展示されていました。
で、本稿ではエッチングについて感じたことをば。
白黒版画と彩色版画と両方あるんですが、どちらも何かニューロイックというか病んでるというか、禍々しい雰囲気があります。
とくに白黒のは刺々しい細い描線が集合して、奇妙でグロテスクなものが描かれています。個人的にはだからこそ萌える!
エッチング以外の媒体、フォト・デッサンやキュビスムの影響が強く表れている初期の抽象油彩画、スランプ期に描かれた日本画、晩年の壮大な点描抽象画等々、他方面に渡った作品群どれを見ても、どちらかというと陽性な印象を受けますが、エッチングとコラージュはちょっと鬱な印象を受けました。
ところで先に文筆家・杉田秀夫時代と書きましたが、この瑛九という人、そもそもは美術評論家で後に実作家に転向したんだそうです。
埼玉県立近代美術館でのレポで触れたフォト・デッサンについて、感動的なエピソードを知ることができました。
そもそも評論家だった瑛九がフォト・デッサンの実作に手を染めるようになったいきさつについてです。
当時、日本で発表されていたフォトグラムが、創始者であるマン・レイとモホリ=ナジの模倣に過ぎず、独創性も面白味も全くない酷い代物で、日本芸術界の体たらくに怒りを感じた瑛九が、だったらオレが面白いフォトグラムを作ってやる、という怒りから始まり、発展したのがフォト・デッサンなんだそうです。
評論家というと基本的には口先だけですが、瑛九は違ったわけです。違ったどころかとても才能あふれる偉大な芸術家だったということですね。
あんな叙情的で美しいフォト・デッサンを大量に生み出したんですから。フォト・デッサンだけでなく、いろいろなジャンルですばらしい作品を残しているんですから。
ところでこの『瑛九展』、どっちの美術館から見たものか。私は県近美→うらわの順番で見たんですが、ちょっと失敗だったかも知れないなぁ、という気もします。
理由はふたつ。
第1章がうらわ美術館なんで、順番に見るのが妥当かなぁ、というのがひとつ。
もうひとつは、冒頭に述べたほんのり感じられる役割分担から、うらわの展示物は地味で県近美の展示物は派手という傾向が感じられました。
やっぱりクライマックスでこそ盛り上がりたい、という感覚からすると、うらわ→県近美の順番の方が良いように思えます。
とは言え、県近美→うらわでしか味わえない醍醐味もありました。
先に評論家から実作家へ転向うんぬんでフォト・デッサンということを書きましたが、まず先にフォト・デッサンの現物を県近美で見ていて、後でそれらの作品が生み出された背景をうらわ美で知ったときの「腑に落ちる感」は凄まじいものがありました。カタルシスと呼ぶに値する、かなり大きな感動でした。
まぁクドクド書きましたが、瑛九は偉大な芸術家だったんだなぁ、と。それが全てですね。
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