『エル・グレコ展』

2013 / 02 / 10 by
Filed under: 展覧会日記 
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『エル・グレコ展』

『エル・グレコ展』

2013年2月1日(金)、トーハクで仏像にまみれて菩提心に目覚めた後は、東京都美術館で聖像にまみれて福音に耳を傾けてみますかね、ってな感じで標記展覧会を見たわけです。

ピカソなどが西洋近代絵画の祖と認識したとかいう、エル・グレコの西洋美術史における位置づけやその重要性なんかは個人的にはどうでもよくて、純粋にキリスト教的幻視・幻想に身を浸す心づもりで行きました。まぁヒエロニムス・ボスあたりを見る感覚とでも言いますか。

そんなわけでまずは地階の「フェリペ2世の栄光」(No.22)に鷲掴まれた次第。

そして1階の「受胎告知」。同一テーマ同一タイトルの作品が2枚並んで展示してあります(No.29、No.30)。どちらもなかなか面白いですが、向かって右手(No.30)の方が、色合いといい、描かれているものといい、より幻想性が高くて好きです。

最後は2階。まず「聖母戴冠」。これまた同一テーマ同一タイトルが2枚(No.47、No.49)。No.49はNo.47のレプリカである、と説明書にあります。
そして「無原罪のお宿り」。これも同一テーマの作品がふたつあります(No.45、No.50)が、キービジュアルになっているNo.50が実に圧巻。

美術館の階を昇るごとに、絵画の幻想性が増し、見ているこっちの法悦も高まるという、何とも心憎い展覧会ですね。

これら幻想性の高い宗教画を見ていて、なぜ心がときめいたかというと、本展に限ると、とりわけケルビムの存在が大きいように思えます。

嬰児の頭だけがあって、首の付け根に鳥の羽根が複数枚生えているという、普通に考えるととても不気味な造形。むしろ不快な印象を抱かされると言ってもよろしい。
そんなケルビムがまるで鈴なりのブドウの房のように蝟集しているさまは、非キリスト教文化圏人の感覚としてはむしろ悪魔的というか嫌悪の対象だと思うんですよ(まぁキリスト教文化圏の人間も他文化に対して同様の感覚を抱いているわけですが)。

でもそこに痺れる憧れる。
宗教を免罪符にして行き着いちゃった感に惹かれます。
それぞれの「無原罪のお宿り」を見ると、空に浮かんでいるマリアの足下、まるで浮揚エンジンの役目を果たしているかのように群れているケルビムが描かれているのがNo.45であり、天に昇るマリアの頭上にハロ(後光)のように、もしくはマリアを讃える賛美歌を歌う合唱隊のように、円陣を組んでいるケルビムが描かれているのがNo.50。
2枚の「聖母戴冠」ではケルビムがさらに倍。その増量っぷりにキモさで鳥肌立ちます。萌える!

それら以外に惹かれた作品は以下のあたり。
可憐な美しさの「悔悛するマグダラのマリア」(No.20)。
凸局面のキャンバスに描かれているため、まるで3Dのような「キリストの埋葬」(No.26)。
そして天を仰いだ顔のせいなのか、逆S字に歪んだ体躯のせいなのか、なぜが目が離せない「十字架のキリスト」(No.37、No.43)。

あと、エル・グレコの作風である、蒼ざめていると言って差し支えないくらい悪い顔色と、紅や青や黄という眩しい原色の服との対比が面白かったです。



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