『牧野邦夫 ―写実の精髄』

2013 / 05 / 29 by
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『牧野邦夫 ―写実の精髄』

『牧野邦夫 ―写実の精髄』

2013年5月26日(日)、練馬区立美術館で標記展覧会を観ました。

会期は平成25年4月14日(日)~6月2日(日)なので、かなり滑り込みなタイミング。そのせいなのか、えらく混んでました。しかし、こういうどちらかというと病的な感じの絵の展覧会がこんなに混むとはなぁ。
一昔前ならこういう絵は忌避されていたように思うんですよね。ごく一部の好事家だけが話題にしたような。
ここ数年、毎夏、博物館や美術館という場で妖怪の展示がコンスタントに開催されていることなども考え合わせると、やはり時代はこういう「幻想」を求めているんだなぁ、ということをヒシヒシと感じた次第。

では、本展の話。

レンブラントに強い衝撃を受け、漫画家から画家へ志望を転向したとのことですが、その割にはレンブラントの個性である、光と影によるドラマティックさが、牧野の作品に積極的に取り入れられていないように思えます。
レンブラントのどこに衝撃を受け、レンブラントの何を受け入れたのか、いまいち謎な感じ。

んで、描かれた内容はというと、ブリューゲルやボッシュの、「呪縛」とすら呼べる強い影響が伝わってきます。

「未完成の塔」なんか明らかにブリューゲルの「バベルの塔」ですよね。
塔は日本の五重塔として描かれていますが、画面下方の群衆などを見ると、強姦していたり、接吻していたり、脱糞していたりしますが、それらは「バベルの塔」や「ネーデルラントの諺」そのままという印象。

多くの自画像や人物像、その他多くの絵に描かれている、陰や隅に潜む異形や、有機的に溶け合う複数の顔のつながり、空気中に融けていくシャツの襟や袖などは、現代の我々としては諸星大二郎の絵を思い浮かべますが、これらも前述の画家の影響ですよねぇ。

レンブラントを目指しつつも、いわゆる普通の肖像画や風景画が少なく、その多くが幻想風味過多、ってのは不可解に思えます。
で、個人的な空想なんですが、あの画家にはああいう風景が視えていたんじゃないでしょうかね。
写実の手法を使って幻想を描いたのではなく、牧野本人にとっては、あくまでも現実を写し取っていたのであり、ブリューゲルやボッシュには無意識下レベルで共鳴してしまったのではないか。
なんでも従兄弟が小説家の牧野信一だそうじゃないですか。それを聞くと、ああなるほどなぁ、と納得できるというもの。

私は、牧野邦夫は幻視者である、と感じました。それゆえに強く惹かれるのです。



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