『街の記憶 写真と現代美術でたどるヨコスカ』

2013 / 06 / 09 by
Filed under: 展覧会日記 
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『街の記憶 写真と現代美術でたどるヨコスカ』

『街の記憶 写真と現代美術でたどるヨコスカ』

現在、横須賀美術館では標記展覧会が開催されています。

横須賀美術館の裏山を登られた方は三軒家園地という広場をご覧になられたかも知れません。これはかつて東京湾防衛のための砲台が設置されていた場所で、この他にも観音崎地区には砲台が数多く設置されていました。それらは軍の施設であるため、もちろん民間人の立ち入りは禁止。
また横須賀の近代化みならず、日本近代化の原動力になった横須賀製鉄所という施設が汐入地区にありました。のちにそれは横須賀海軍工廠となり、第二次大戦後は横須賀米海軍基地となり、現在に至ります。

このように横須賀のあちこちに軍の施設があるためなのか、第二次世界大戦が終わるまで街の景観の撮影や写生が禁じられてきたとのことです。地元民なのに初めて知る衝撃の事実。

そして戦後になると、横須賀はかつて日本軍の基地の町、今はアメリカ進駐軍の基地の町という特殊性から、東松照明や森山大道といった写真家が作品のモチーフを求めて集まってきたそうです。

そんな戦後から現代まで、横須賀を舞台に撮影された写真で横須賀史を辿ろうというのがこの展覧会です。
広く世間一般に向けてというよりもむしろ、横須賀市民に向けた、住んでるあなたも知らない横須賀をご覧あれ、といった印象の展覧会と見受けました。

前述の理由から、この展覧会は、進駐軍や反基地デモなどといった、基地問題という政治的な写真群から始まります。1950年代後半からの作品が並びますが、このあたりの作品の撮影者は横須賀市外の人々とのこと。

やがて時代が下るにつれて、横須賀に生まれ育った人々が自らの美意識で撮影したものなどに、作品が移り変わります。横須賀市外の人々による同様な写真も並びます。

そして現代に至ると、市外の人からも横須賀=基地という特殊な街というよりも、都心部の一新興住宅地として扱われるようになったという。

そんな、強く政治的側面が意識される特殊な場所から、日本のどこにでもある場所、というように横須賀が変遷するさまが、なかなか興味深いです。

戦後昭和をリアルタイムで生きていない私としては、地元でありながらも、何か別の街のことという新鮮な印象を受けました。写真に込められた撮影者の政治的メッセージにはあまり興味持てなくて、単純に、被写体そのものや、アレ、ボケ、ブレといった撮り方がかっこいい、と感じた。でもそれって横須賀市民としていいのか、という後ろ暗さも感じないでもなかったり。

写真以外ではコンテンポラリー・アートが数点展示されていますが、個人的にコンテンポラリー、とりわけその中でもインスタレーションは大っ嫌いなので、それらには触れません。

2013年4月27日(土)から始まった本展覧会、初日の4月27日、5月4日、25日、6月1日、9日と、現在まで5回観ました。
会期は前後期になっていて、6月4日から後期だとか。石内都「絶唱・横須賀ストーリー」は全点変わっていて、終了の6月30日(日)までにあと1、2回観たいなぁと思いました。



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