『琳派から日本画へ』

2013 / 04 / 01 by
Filed under: 展覧会日記 
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『琳派から日本画へ』

『琳派から日本画へ』

2013年3月23日(土)、山種美術館で標記展覧会を観ました。会期は2013年2月9日(土)~3月31日(日)。

本展を訪れた目的は、琳派に心酔しているからでは決してなく、加山又造「千羽鶴」を観たいがためだったのです。

てゆーか琳派ってよく分らんす。
1500~1600年代の本阿弥光悦と俵屋宗達が始めた装飾性やデザイン性があって、1600~1700年代の尾形光琳がそれに強い影響を受けた。そして1700~1800年代の酒井抱一や鈴木其一が尾形光琳の作風に影響されたという流れだそうじゃないですか。
それぞれの間に100年程度の断絶があるのに、それでも琳派というひとつの潮流である、って部分になんかピンと来ないわけです個人的に。

それはともかく「千羽鶴」。グラフィックデザインとしての美しさは本当に素晴らしいですよねぇ。

右双は月が輝く夜、左双は太陽が輝く昼という別々の時間帯が描かれている。しかし、うねり覆う鶴の群れと波しぶきは六曲一双全体でひとつのものなので、全体を見ると昼と夜が同居している不思議な時空間。
鶴は金、太陽と月は銀、背景は黒という少ない色数ゆえに引き締まる画面構成。

いやぁ見惚れてしまいましたよ。

それ以外で印象に残ったのは、時代を経た金地の趣について。

本展では、伝・俵屋宗達「槙楓図」、尾形光琳「槙図」といった17、18世紀の金地と、下村観山「老松白藤」、石井林響「寒山」といった大正時代(20世紀)の金地を見ることができました。
両者の間にはだいたい200~300年の時代の間隔がありますが、前者の金地の寂れ方が実に好い味を出してるじゃあありませんか。特に尾形光琳「槙図」の金地が好いです。
縦横に歪んだ線が走っているような、時代を経たためにできた黒ずみが、得も言われぬ趣を湛えています。
それに対して後者はただ単に一面の金色で今ひとつ面白味に欠けます。
まぁ俵屋宗達にしても尾形光琳にしても、彼らにとっては、私が面白味に欠けると評した金地こそが正しいあり方なんでしょうが。



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