『ファインバーグ・コレクション展 ―江戸絵画の奇跡―』(2)
2013年7月5日(金)、江戸東京博物館で観た標記展覧会で展示されていた絵のうち、特に心に残った作品6点について述べています。
前回は5点について述べました。本稿では最後の1点、曾我蕭白「宇治川合戦図屏風」について徒然なるままに。この展覧会のキービジュアルになっている絵ですね。
曾我蕭白というと、筆致や色遣いなどその画風がこってりとくどくて、でも、そこに痺れる憧れる絵師ですが、この作品については、もっぱら描き方ではなく描かれた画題について述べたい。
平家物語の一節「宇治川の先陣争い」には、源氏方の武将、梶原景季と佐々木高綱が一番乗りの功名を競ったとあります。そのとき景季は「
ここで描かれているのはこの先陣争いの場面です。
向かって左側の赤い武者と黒い馬が景季と磨墨、右側の緑の武者と灰褐色の馬が高綱と池月です。
池月と聞いちゃあ横須賀市民としては黙ってられん!
現在の住居表示でいうと馬堀町4丁目14に「蹄の井(馬頭観音堂)」という名所旧跡があります。ここは池月にまつわる伝説が残された場所です。
その伝説とは以下のようなもの。
その昔、上総(今の千葉県)にいつの頃からか凶暴な馬が棲みつきました。
やがてその馬は田畑を荒すようになったため、困った村人は馬を追い出しにかかります。
追い立てられた馬は海に逃れ、浦賀水道を上総から相模まで泳ぎ渡って、この地にたどり着きました。
泳ぎ疲れた馬が岩を足で掘ると、そこから清水が湧き出しました。その水を飲んだ馬は見事な駿馬に生まれ変わったそうです。
噂を聞いた時の領主、三浦義澄はこの馬を捕獲し、源頼朝に献上、頼朝はおおいに喜び、池月と名づけました。
池月が掘り当てた清水は「蹄の井」と呼ばれるようになり、またこの出来事により「馬堀」という地名がついたとのことです。
「宇治川合戦図屏風」に描かれた両方の馬の歯を見てください。
磨墨の歯は、尖り気味であるとは言え、その先端は平たく、台形になっています。
一方、池月は完全に尖り、まるで肉食動物の牙、いや牙はおろかその顔がまるで怪獣。口を取り囲むビラビラは一体何ですか。とても馬には見えぬ。
この馬、かなり獰猛だったようで、草食動物である馬にもかかわらず動物を食らうという意味で「
ところで先の蹄の井の伝説に出てきた三浦義澄、妖怪クラスター的には前稿で触れた源頼政同様、妖怪バスターとして記憶される歴史上の人物です。
源頼政は京都で鵺を退治しましたが、三浦義澄は那須で白面金毛九尾狐(玉藻前)を退治した侍(の一人)です。九尾狐を倒すきっかけとなった最初の一撃の矢を放ちました。
那須町ウェブページ史跡「殺生石」と那須伝説「九尾の狐」などでは、義純と書かれていますが、これは義澄のこと。
なお九尾狐を退治した三浦介は義明という記述もありますが、それは義澄の父親です。
三浦一族については横須賀市ウェブサイトの三浦一族研究というページが詳しいです。
ちなみに蹄の井というのはこんなところ。
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