『妖怪変化の時空』
2011年9月1日(木)は千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館まで遠征してきました。
国立歴史民俗博物館の展示は全部で6つに分かれていますが、その3番目「近世」の展示室の一角では定期的に特集展示が組まれています。
2009年にも『百鬼夜行の世界-百鬼夜行絵巻の系譜-』と題した特集展示がおこなわれたので見て来ましたが、今回見に行ったのもやはりお化けの展示。
標記タイトルで2011年8月2日(火)~9月4日(日)の間おこなわれているのを、滑り込み気味のタイミングで見てきました。
本展示では以下の4つのテーマに沿って、館蔵資料が展示されています。
- 「風聞と怪異・妖怪」
- 「歌舞伎の中の怪談・妖怪」
- 「妖怪絵巻の世界」
- 「妖怪絵師列伝」
以下テーマごとに思うことを徒然なるままに。
「風聞と怪異・妖怪」
本展示における最も有意義な必見のコーナー。
日本怪異史では、日本の各地で異形の存在がたびたび出現します。
それらを描いた絵が残っているケースもあり、近世では瓦版や新聞記事なんかでも散見されます。
異形の中には、疫病や災害などを予言し、それを除けるには自分の似姿を絵に記して戸口に貼るとよい、と言うモノがいます。
そのようなモノのうち「
姫魚は、まあ言ってみれば人魚なわけですが、魚の体に女の頭がついていて、しかもその頭には角が生えており、顔は文楽人形のガブを思い起こさせる、というなんとも薄気味悪い形状。
でも人に有益な存在なわけで、人は…… いや妖怪は見かけによらないね、という好例です。
尼彦はさらにクレージーな造形です。ちょっと見てやってくださいよ。何ですかコレは。
猿の頭に直接、肢が3本生えているというこの姿。どういう発想だ、と問い詰めたくなりますね。
ところで尼彦と同じような妖怪に「アマビエ」というのがいます。どう考えても瓦版か何かにあった「アマビコ」を写す際に、「コ」を「エ」と誤記したとしか思えないわけです。
水木しげる先生は、その誤った写本に基づいて「アマビエ」という名の妖怪を描いています。
ウィキペディアには「アマビエ」という項目があり、そこには水木先生が下敷きにした絵が掲示されていますが、そこにある絵の謎がやっと解けました。
水木先生はその部分を岩に隠してしまいましたが、原典の「アマビエ」には肢らしき物が3つしか描かれていません。
今回展示されていた尼彦の絵を見ればそれも納得。三本脚の妖怪だったんだ。
それが分ったうえでウィキペディアにある尼彦の絵を見ると更に納得。
当初、ナマケモノのような形の妖怪がうずくまっている様子を描いたものだと思っていたんですが、これも三本脚の妖怪が直立している状態なんですねぇ。
欲を言うと、同じ予言・似姿系の異形として「くたべ」もあったら更に素晴らしい展示だったでしょう。まぁ「くたべ」はどうやら「白澤」らしいんですけどね。
それを踏まえてなのか、ミュージアム・ショップの本展示関連コーナーには白澤の絵はがきが並んでいたので買ってきました。
「歌舞伎の中の怪談・妖怪」
幽霊や妖怪を題材にした歌舞伎の舞台を描いた錦絵や浮世絵が展示されていました。「民俗」を冠した博物館の展示として考えると、個人的にはあまり意義が見出せないコーナー。なので写真も撮りませんでした。
「妖怪絵巻の世界」
2009年の展示では単独テーマになっていた百鬼夜行絵巻が展示されていました。
その際にも展示されていた狩野洞雲の「百鬼夜行図」、その他に「大石兵六物語絵巻」と「太平記怪奇絵巻」の2点。
「太平記怪奇絵巻」に描かれているのは、先般、太田記念美術館で見てきた『破天荒の浮世絵師 歌川国芳(前期)』のレポでも書いた「以津真天」の件ですね。
「妖怪絵師列伝」
妖怪画といえばこの絵師という人々の作品が展示されていました。
まずは妖怪画というと欠かすことができないふたつの妖怪図鑑「画図百鬼夜行」と「絵本百物語(桃山人夜話)」。描くは鳥山石燕。そして竹原春泉。あとは歌川国芳、月岡芳年、河鍋暁斎の絵がありました。
ところで本展示の前口上によると、国立歴史民俗博物館は2001年以降、怪談・妖怪資料の収集に積極的なんだとか。江戸から明治にかけて制作された資料を中心に、現在は900点を超える一大コレクションに成長しているとのこと。
そして2013年3月にリニューアル・オープン予定の第4展示室「民俗」で、それらコレクションが常設展示されることになるらしい! なんと素晴らしい! 待ち遠しい!
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